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グダグダエッセイです
更新履歴

展示の感想

ここは関西に行ってから見た展示の感想とか
載せれたらと思っています。

a 展示者との関係 b 作家の展示を見た回数 c

フォトストリート

2014.8.13-8.17 「フォトストリート写真展35th」
イーグレ姫路

それぞれの展示スペースが、
自主ギャラリー位の広さがあるなかで、
グループ展と言うよりは、
コンプレックスみたいな感じで、
人数分の個展が並んでいるようだった。
恐らくは野口氏を別にしてすべて新作。
よく知り合いが言っていた、
ガチンコの勝負をするグループ展ではないと、
面白くないと言っていた、
そう言う面白いグループ展だったのだろうと。
また、
元々知ってはいたけど、
いつもと違う内容を持ってきていた人もいて、
来なければ観る機会はこれからも含め、
なかったのではないかと。
山口氏は廃墟となった父の病院だったし、
鍛冶谷氏は、
地方の商店街だった。
個人的にひかれたのは井上氏と、
元々の知り合いの川口氏とで、
無鉄砲さのようなものではない、
若々しさと言うものがあって、
大人が大人げなく若々しくあると、
こうなるのかなぁといった感じ。
川口氏の作品は、
画面に張り巡らさせた様々な要素、色や線、
地形のうねり、光や影を、
これでもかといれつつもうるさくなく。
井上氏の写真は一定の距離を持ったスナップで、
その軽快さとともに、
積み重ねられた上手さ、
いい意味での強かさを、
よくよく感じた。
あと考えさせられたのは、
高津氏と島内氏で、
仕事としても成立する様な写真でありながら、
作品としての瑞々しさがあって、
自分が双方を満たすような写真が撮れないから、
余計にそう思ったのかと思うのだけど、
体現されたものを観ると、
自らの不甲斐なさをひしひしと感じた。
と言うのは、
深川のフリーペーパーの表紙に、
関連付いた話で、
自分が担当していたときには、
どうにもこうにも、
その両立は出来ない感じがして、
展示に使う感じのない写真を撮っていて、
(その反動で緯度経度の写真を展示したような) 逆にその後受け継いだ知り合いの写真は、
作品として魅力を感じつつ、
仕事として如何なものか、
疑問に残るときがあって、
それは仕方がないものかと、
ある種諦めとか割りきりを持っていたのだけど、
ちゃんと成立するものなのだという感じがした。
まぁ、
当人に言わせれば、
仕事としてやる場合、
また何か違う要素も加わるのかと思いつつ。
あとで調べたら、
高津氏は沖縄に住んでいた様。
パソコンのスライドもみしてもらったけど、
そちらはより、
ルポ的な感じにも思えた。
似たところで思ったのは、
柳沢さんの昔の雑誌での仕事とかは、
作品のスタンスで撮りながら、
まとめたルポルタージュ的な感じがして、
雑誌社も、
よくこんな感じのを許容していたなぁと言うよりも、
そう言った作品的な良さを、
雑誌社側が分かっていたと言うことなのかと。
それだけ距離がなかったのかなぁと。
今の雑誌記者が、
展示を観るかと言うと、
そうでもない様な。
または、
作品の展示をする人が、
雑誌社に出入りしているかと言うと、
そうでもないのかなと。
まぁただ、
柳沢さんの仕事も、
多分アサヒカメラだろうし、
捉え方としては乱暴だったり、
おかしな所は多いだろうけど。
とりあえず普通の週刊誌で見る写真に、
柳沢さんのような味わいは感じないし、
逆にそう言ったものにものって違和感がないのに、
高津氏、島内氏の写真は、
魅力的に写るなぁといった話。
杉浦氏は見返り横丁の、
恐らくは新作を出していた。
展示という意味で、
足を運ばなくては見れないもの、
と言うものは確かにあって、
それは空間における作品の映えかたはもちろんのこと、
そこに対する意気込みと言うもの、
および空気なり雰囲気はあるのと、
あとは、
どこを自分の活動のベースにしているのか、
と言うところで、
そこに対する温度差はあったのかなぁと。
あとはこれだけの熱量を、
毎年、
35年も続けている、
タフさにはただただ頭が下がる。
西脇に完全に移ったら、
何日かに分けて見に行きたいなぁ。

a 知人又は顔見知り(川口・杉浦・山口・西川 敬称略)他 面識なし b 初見(グループ展自体は)

井上 雅史

2015.2.27-3.5「続・海沿いに」
olympus ギャラリー

綺麗に整った画面の中で、
丁度良い所に人がいはするのだけど、
撮影の時に、
人が自分の思うポイントに来るのを待った感じはなく、
風景にひかれた部分と、
人が入り込むタイミングが、
丁度歩み寄ったと言うか、
そんなバランスがあって、
それがなんとも心地よかった。

a 少しだけ会場で話した b 3回

Nikonサロン(大阪)

フジモリメグミ

2015.6.25-7.1「hera」

311の地震以降、
日常である今の状態が、
奇跡的なものではと言う考える様になった、
と言う展示の説明に、
嘘があるとは思わないけれど、
やや言葉としては強いものだから、
そこに振り回されないと良いなぁと。
単純に、
写真そのものは日常的な風景と言うよりかは、
生活なり旅でかと思われる非日常、
と、
迄はいかなくとも、
写真の中より多くの人が共有する様な日常と言うものはない気がするし、
作者の日常が実際写真の通りだとしても、
もう一つ撮影者の日常と言うものが、
捉えにくい感じではあるのかなぁと。
TAPでの展示では余り違和感は覚えなかったけど、
Nikonの箱の中で、
これ迄をまとめたとき、
やや言葉とのアンバランスさが目立つ様な気がした。
まぁ、
伸び伸び撮りたいものを撮って、
その中で言葉の方をかみ砕いて、
違和感が抜ければ良いのかと思うのだけど。
あとは、
スタンスとして同じ様に思えてた写真は、
やはり自分なり自分の昔からの知り合いとは、
価値観の方向性は、
どこか違うのかなぁと言うのがあって、
寧ろ作品や運営に向かうスタンス、
方法論等で近い部分がある様に捉えていたのかも知れないなぁと。
あと一枚購入する約束をしたけど、
その写真は単純に、
良いなぁと。
(お金が貯まったらと、
何やらすごく長いこと待って貰いそうで申し訳ないのだけど)
他のジャンルもそうだろうけれど、
一口に写真と言っても、
その価値観は様々で、
それぞれの価値観内では別にして、
それぞれの価値観に優劣はないと自分は思っていて、
撮影し2次元におこす行為を写真と捉える人もいれば、
作り手が方向性を決め、
写真が記録として完成させると言う、
あくまで作者は案内役・黒子に過ぎないと言う自分みたいなのもいるし、
絵を作り込む人もいるだろうし、
コンセプト的に持っていく人も、
本当に様々で、
自分の価値の外にあるものを、
頭ごなしに否定は出来ないと言うのはあって、
ただ、
これから進む中で、
自分とは異なる価値観の人達へ、
どう持っていくかと言うのは、
考えたりしても良いのかなと。
そんな風に思った。

瀬頭順平

2015.4.23-4.29「コミュニケーション」

ポートレートが連なりはするものの、
変に型にはまることもなく、
伸びやかに見えた。
実際はしらないけれど、
こんな感じで纏めようとしていたけど、
違う感じのものが写ってきたので、
それも素直に入れていこう、
と、
撮り重ねる度に予定から離れて行っても、
そのアクシデントも楽しんでいったらこうなるかなぁと言う印象。
わりと最近は、
ポートレートでまとめて、
その先なり、
他の作家との違いがよく分からない展示も多い中で、
何とも観ていて楽しかった。

a 面識なし b 2回

百々武

2015.4.2-4.8「草葉の陰で眠る獣」

王動的なドキュメントの様に撮っては不都合があるのかなぁ?と言うのと、
作者の視点と言うものを尊重したいのなら、
何やら方向性がフランフランしてる様な。
淡々とと言うよりかは、
それぞれの撮影の状況、
熱の波が見えるようで、
よく言えばその撮影の状況が伝わるような臨場感があり、
わるく言えば統一感が半端で見辛い様な。

a 顔見知り b 4回位

中山順子

2015.4.2-4.8「風わたる」

何かを見本にはしてない感じがして、
それでいて丁寧に繰り返し撮影してる様で、
ずば抜けて何かがすごいとかではないのだけど、
のびのびして、
心地よく見えた。

a 面識なし b 初見

ビジュアルアーツ専門学校・大阪 写真学科

2015.2.26-3.4「卒業制作選抜作品展」

何人か琴線に触れると言うか、
単純に自分の好みに合う感じなのかは分からないけれど、
そう言った人がいて、
その一方でポートレートが多くて、
ポートレートでやるにして、
他との差別化を、
これからどうするのだろうなぁと。
多分次何かの個展とかで観たとして、
同じ印象を持ってしまったら、
その次は観に行かない様な気がするのだけど、
そう言った次を観てみたいと言う、
決定打的なものはなかったし、
そう言うものを求める場ではないのかどうか。
卒生展て、
そう言ったものも含めて、
難しいなぁと。

a 面識なし b 初見

ハッテンギャラリー

高橋 孝太

2015.7.19-7.21「色彩を取り戻せ」

ここのギャラリーの人は、
ビジュアル アーツの卒業生が多く(全部?)、
若い人は何やらかしこまって、
真摯に勉強しますと耳を傾けてくれるのだけど、
そう下から来られても困りますと言った感もあり、
もっとその意見は違うのではないですかと、
ぶつかってきて貰えたらなぁ、
とか思う。
今回の展示に関して言えば、
諸々つたない部分が目立って、
プリントの甘さもそうだし、
毎回思う並べの悪さは改善されるのだろうか?
と言うのは飽くまでこちら側の印象なのか、
はたまたこれが関西特有の並べなのかが、
今のところ良く分からない。
もし自分だったら如何様にでも、
並べでまだ出来る所がある様に思えて仕方がない。
そのこだわりが関西では変にグジグジこねくり回しているという風になるのだろうか?
それともまだ個展の回数が少ない故のつたなさなのか。
はてさて。
と言うよりは根本的に、
ちゃんとこの人は継続して個展を重ねるのかなぁと言う所が、
やや疑問にも思うところと、
あとは他の人は並べに対して何か言わないのかなぁとか。
何か幾たびに色々いって帰ってきて、
面倒くさいお客さんになってるのかなぁと。
むーん。
あとは声をかけて時間をかけて分かって貰い、
撮影させてもらってます、
と言うアプローチは何やら新鮮だった。
自分はまず声なんてかけないし、
話せば話すほど、
撮れなくなってしまうからなぁと。

阿部淳

平野 正樹(国境なき写真家旅団員)+阿部 淳(招待作家)
「第二回 国境なき写真家旅団展 写真で文明論やろうよ!
 社会構造の地殻と潜在意識の深海をめぐっての「世界的記憶回復」運動 ver.1」2015.6.18-24,25,28

関東、関西のと言うのは、
括り方の範囲として適切なのか分からないけれど、
今のところ関西の人の並べと言うものが、
空間的な感じと言うものが強い感じがして、
写真集をベースにした様な、
あくまでも一列の順番による部分に重きがあるのが関東の様な気がする。
また、
今回の展示をみたときに、
空間に角度も様々に散りばめられた写真は、
その展示でも成立し得る、
個々の強さと言うものがあって、
それぞれが独立してもいる様な、
そう言った特徴も、
関西と言う中にあるのかなぁとも。
多分自分のいつもの写真であれをやったら違和感が出るし、
見辛いと一蹴される様な気もする。
まぁ、
単純な力量なのかも知れないけれど。
阿部さんは本よりも展示の方が良いと言うのを、
知り合いと話したことがあって、
別に本が悪いとかではないけれど、
区切り方として、
印画紙と言う本の様に綴られてない状態が、
何とも映える感じがした。
少なくともMでやった展示に関しては、
写真集でみていたカットでも、
何か別物のように思えた。
それは多分印刷と印画紙の違いだけではなく、
もっと他にもあるのだろうし、
他の関西の作家に対しても共通する何かがあるのかなぁと。
明確にはよく分からないけれど、
そんな感じがした。

瀬頭順平

町の肖像 2015.4.23-29

それぞれのカットにはひかれる部分もあるのだけど、
何か流れとして見るとややもの足りない部分も。
どれ位の期間で撮ったのかなぁと、
割りと似たカット(同じ場所と思われる)もあったので、
数がたりなかったのかもしれないし、
並べにももっと凝って欲しいかなぁとも。

a 弟さんと話した b 3回

高田 玲

2015.5.5-10「CONTRA」

街の幾何学的な造形を切り取ったカラー。
方向としてはサードの関くんに近いのかなぁと。
撮っているものは全然別だけど。
作家が在廊していて、
昔はモノクロで制作していたそうで、
そのブックも見せて貰って、
何とも力作揃いではあるのだけど、
量と大きさがあって、
途中で疲れてしまったなぁと。
それで前から少し気にはなっていた所で、
並べとか流れとかって、
どう意識してやってるのか聞いてみたところ、
知り合いを含め、
そこまで強く意識出来てはいないのではとの答が。
勿論何も考えず並べたりはしてないのだけれど、
そこについてぐるぐる考えたり、
この人に並べてみて貰いたい等思いはせずあくまで並べは作者のやることで、
並べ単体で考えたりとかはそこまでない様。
(あと全く別の人からの話で、
関西の人から見て、
関東の人の並べは気取った感じがすると言う意見も) また、
迷った時に見てもらう受け皿となる部分が少ないとのこと。
今回の展示に関しては、
入口から観た視点を軸に並べたそうで、
始まりがあり終わりがあると言う一対の流れよりも、
空間的な位置作用と言う感じなのかなぁと。
自分達の並べ(前者)と、
現代美術のコマーシャルギャラリーとかの並べと言った意識の違いに似た感じがするけれど。
あとはモノクロ特有の生っぽさを、
ブックと見比べてしまったが為に感じ、
何かカラープリントの方の、
紙としての力強さ、
存在感が欲しいなぁという気も。
今の段階ではモノクロの写真の方に惹かれてしまうかなぁと。

a 会場にて話した b 初見

tantotempo

土田ヒロミ

2015.4.25 – 6.7「砂を数える」tantotempo

元々写真集として好きで見たかった今作品は、
何やら展示としては物足りない様に感じて、
それは何故だったのかなぁと。
写真集も会場にあったのでみてみたけれど、
全てのカットに人が多数写り込む中で、
その差別化、
それぞれのカットに個性が表れて見え、
それにより流れとして見えるのが、
魅力的に写った様に思えたのだけど、
展示の方は逆に絞っていたからか、
逆の流れ、
寧ろ類似性に目が行ってしまい、
流れを塞き止めて見えたのか、
それとも単純に並べが良くなかっただけなのか、
さてはて。
写真集の中のプリントが飾ってあると、
そんな印象の展示だった。

a 面識なし b 初見

ブルームギャラリー

須田一政

2015.7.8 - 8.2 走馬灯のように〜釜ヶ崎 2000-2014〜

この作家の写真集で好きなものは幾つもあるのだけれど、
なにやら展示において良いなぁと思ったのに、
当たったためしがない。
実際知り合いとかが、
あれを見逃したらいけないよぉといっていた展示を、
自分は見逃しているので、
タイミングが悪いのだか何なんだか。
今回もなにやらこれはどうなんだろうというか、
ピンと来なかった。
唯一惹かれたのはWEBに使われている写真だろうか。
単純に自分が合わないのかなぁ…。

一人暮らし(東京準備編)

西脇に行くと同時に
自分は一人暮らしも初めてなので、
思うことをつらつら

はじめに

親が半年弱名古屋に転勤になったことがあって、
実家にいながらにして、
家事全般をやったのが、
はじめての一人暮らし(もどき?)で、
やってみるとこれが楽しくて、
親が帰ってくるとなったとき、
思わず、
え、帰ってくるの?
と、
思わず嫌な顔をしてしまったこともあったり。
よく一人暮らしをしていた友達からは、
やると親のありがたみを痛感するよと言われていたけど、
自分の場合は逆で、
こんな楽しいことをやらしてくれなかったのか、
と、
思ったり、思ったり。
ただ、
楽しいのは一人だからで、
他の人に合わせる様に家事をやるのは多分大変で、
実際親のありがたみを感じるのは、
結婚などして、
主夫になったらだと思います。
感謝はいつもしてるつもりでは、
一応あって。
知り合い等に話したりすると、
最初のうちは楽しいかもしれないけど、
とも言われるので、
まだまだ奥が深いものかとは思うので、
とりあえず思うことをつらつらと。
西脇に行くにあたり、
一人で生活する、
不安よりも楽しみの方が強いです。
あと、
自分のペースを崩されるのがイヤ、
と言う意味で、
嫁、姑のぶつかる理由が、
何となく分かるような。
実際親が帰ってきて、
やたらと親とぐじぐじいったこともあるので。
あとは、
本当に家事が辛くなったとき、
あぁやって楽しめてたと、
思い出せる資料となればと。
そんな感じで、
一人暮らしについて思うことを、
ダラダラ書いていきます。

料理

昔スパゲッティ屋で働いていたことがあって、
キャベツの千切りなどを練習して、
で、
とりあえず野菜を切ることが、
無駄に好きで、
だから、
家に帰ったら、
何も考えずまず野菜を刻みます。
そして、
とりあえず火が通れば食べれなくはない、
と、
炒めるか煮たりして、
これに何を加えたら美味しいかなぁ、
なぞ考えるので、
ちょっとした実験をやっている、
こどものような感じなのかと思います。
だから、
レシピ本は全くみないし、
見たとしてもその通りに作るのは、
苦手なのかと。
ただ、最初の頃はひたすら煮込んで、
結局行き着く先が全てカレーになり、
ちょっとだけネットで作り方は見たりしました。
あとは、
味付けを自分好みに出来るのが楽しいですね。
で、
意外と好きなものだけ作ろうとすると、
逆にそんな好きではないものも、
食べてみたくなるので、
結果的に偏食は減るような。
揚げ物とか味の濃いものは、
三日もかからずすぐ飽きるし。
あとは魚が後片付けが面倒で、
余り食べなくなってしまうのは、
残念。
あとは、
冷蔵庫の中身を減らすのが、
何だかゲーム感覚で楽しくて、
暇あらば料理ばかりやってました。
親が帰ってくると何もないとまた買い込んでくるので、
何やら親が出した課題を、
一人の時に、
ひたすら攻略していく様な。
でもやり過ぎるとガス代がかさむので、
西脇にいったらホドホドにしなくてはなぁ、
なぞ思ったりします。

孤独感

咳をしても一人、
とは、
どこぞの詩人の一句ですが、
知り合いが一人暮らしをしていたとき、
職場と自宅との往復で、
誰とも話してないと、
その寂しさを表す句としていってました。
実際一人暮らしにおける、
自分の唯一の不安と言うのが、
話す人がいなくて寂しいとか、
どれ位辛いのだろうと言う部分です。
何せずっと実家暮らしで、
家には誰かしらいたし、
今でもギャラリーを回れば、
誰かしら知り合いに会うので、
話したいことは、
割りと話す機会が多分に恵まれといたような。
これがないとなると、
辛いのかなぁ、
と言うのはあります。
今の時点でも、
たまに虚しくなる時と言うのは、
YouTube等、
ネットを見すぎたときなどで、
西脇に移ってから、
引き込もって、
ネットばかり見ていたら、
と思うと、
怖くてなりません。
あと一人で考え事をすると、
人間は極端にマイナス思考になる気がするので、
とりあえず行きつけの場所なり、
溜まり場、友人などが作れたらなぁと、
そんな風に思ってます。
一人暮らしの、
本当に唯一の不安ですね。

マイペース

一人暮らしの最大の恩恵であり、
嫁姑問題の、
最大の原因なのかと、
今の時点では勝手に思っていて、
自分のペースで時間を過ごせるのが、
一番のリラックス方法かと。
さて、
主婦は夫や子供の生活に合わせ、
その中で自分のペースを保とうとすると、
中々大変で、
ストレスがたまるのかと。
早くご飯食べて、
など言うのはそう言った所と、
折角作ったんだから、
美味しい時に食べて欲しいからだと思うし、
皆がちゃんと言うことを聞き、
自分の思い通りに家事が出来ると、
これは中々快感なのではと思います。
そんな生活が二十年強、
子供が30で結婚するなら、
30年以上はしているのだから、
自分のペースを主婦は、
家の中で作っていて、
また、
他の家族に合わせながらも、
自分が家庭におけるリズムを作っていると言う自負も、
自然に覚えるのではなかろうかと。
まぁ、主婦に限らずそれぞれに、
自分のペースを作る方法なり、
作りやすい場はある中で、
そこに他の人が入ってくる、
かきみだされるのは、
ストレスなのかと思う。
地味なところで、
自分の部屋に親が入ったりするだけで、
特になんだと言うわけでなく、
なんか落ち着かないし、
友達とかでも、
部屋のもの弄ったりされるのは、
なんか嫌かと。
それが一時ではなく、
ずっとやられると、
と言うと、
やっぱりストレスになるのかなぁと。
だから、
嫁姑に関しては、
相手のここに不満が、
と言うよりも、
自分のペースを確保するための、
主導権争いなのかとも、
思う。
まぁ、
その線引きを明確にすると、
お互いにペースが作れて良いのでは、
とかが私見。
話はそれたけど、
まぁ、
日が浅い部分もあってなのか、
はたまた実際このまま楽しいのかは分からないけど、
とりあえずマイペースにやれるから、
やることなすこと、
楽しいのだろうなぁと。
あと、
嫁姑ばかりでなく、
妻、家事をする定年退職した夫も、
若干ぶつかるのかなぁと、
熟年離婚の理由に考えたりと、
ダラダラ考えたり。
とりあえずは、
楽しい楽しい一人暮らし。

健康面

一人暮らしを始めると、
体重がみるみる落ちます。
と言うか、
野菜が増え、
揚げ物が減り、
全体として食べる量が減るからだと思います。
(お酒の量は増えるのかな?)
あとは規則正しい生活をしないと、
家事が成り立たなくなるから、
結果的に健康になる様な。
ただこれも、
最初のうちだけらしく、
知人いわく、
実家の生活習慣が残っていて、
自堕落になるのを避けるかららしいです。
長くなり、
手の抜き方や、
諦めなどで、
途中より不健康になるとのことです。
怖い怖い。
確かに野菜などは、
取らないとなぁと意識してとるし、
あとは、
いたんでも嫌だなぁと、
早めに使おうとすると、
弟なぞとも話したりしました。
実際不健康になるきっかけは、
自炊出来る元気がなくなり、
コンビニなどでおかずを買うようになると、
後片付けの面倒が減り、
野菜が減り、
揚げ物が増え、
不健康になるのかなぁ、なぞ。
あとは、
親が食事を作っているときは、
全ての栄養を取れるよう、
色々な品目があったのにたいし、
自分でやる場合は、
偏りが、
と言うか、
過度に少ないもの(があるのかなぁとも)
健康診断とかやると、
それは如実に出るような。
あとは、
一人だと手持ちぶさたで、
煙草の量は増えるような。
とりあえず、
様子を見ながら、
考えていこうかと。

整理整頓

実家の一人暮らしでのことだけど、
散らかすのは自分しかいないのと、
意外とちょこちょこした空いた時間が出来るので、
暇なときは、
部屋の整理などをやっていた。
別に親がいるときも、
そう言う時間はあったはずなのに、
何故か一人になると、
そう言うところに目が行くと言うか、
親の荷物まで整理をし始め、
親が帰ってきたら、
驚かれたことがあった。
あとゲームを自分がしないことも、
良いのやも知れない。
整理整頓の方法を、
知り合いに聞かれたことがあって、
と言っても、
自分もそんなに出来てる方ではないのだけど、
場所を決めていれば、
散らからないのではと言う結論に。
リサイクルの、
分ければ資源捨てればゴミ、
と言う標語ではないけれど、
決まった場所においておくと、
ある程度雑でもきれいに見えるし、
元より、
後で片付けようと、
置場所を決められず、
とりあえず置いておくと言うものが、
散らかったと言う状態なのかと。
だから、
整理しようとして、
途中でやめた状態が、
一番散らかった状態だと思う。
ただ、
自分の東京の部屋などは、
一応置場所も決めていても、
それが父親には、
そうは見えないらしく、
たまにはちゃんと整理しなさい、
と、
言われるので、
場所を決めるのに、
もう一要素足さないと、
整理整頓してることとはならない様子。
あと、
ゴミとか、
捨てる場所及び、
捨てやすい環境、
例えば紙ごみ等は、
デパートの紙袋に入れるようにする、
及び、
その紙袋の置場所を決めておくと、
きれいになる様な。
西脇に完全に移る前に、
そう言った仕組みを決めておきたいものです。

一人暮らし(西脇実践編)

一人暮らしの1は東京にいる間に考えていたことに対し、
一人暮らし2は西脇に行ったときに考えた内容です。2

現状

西脇に移り住もうとしたとき、
当初問題は二つあって、
住む場所がないのに仕事が見つかるかと、
仕事がないのに住む場所が見つかるかと。
それで自分の場合は、
東京でとりあえず働いた状態で、
知り合いより場所を借り、
その上で仕事を探すと言う、
何とも不思議な感じで、
で、
月一回は西脇へ行き、
その時に荷物をちょこちょこ送っている感じです。
少しずつ生活に必要なものを揃えていけたらと思っていたら、
大家さんであり知り合いの方が、
これもう使ってないからと、
いつか買おうと言う、
様々な家電を最初の時点で頂き、
何やら恵まれ過ぎているのと、
期待に応えるべく早く仕事を見つけて、
完全に移らないとと、
身が引き締まる感じです。
ただ現状としては、
生活に必要なものは、
このまま揃えていけばよいのだと思うけど、
今のところいれて二日、
短い時で一日しかいれないので、
仕事を見つける為の環境、
としては、
まだ厳しい。
履歴書送って、
明日これますか? と聞かれて、
明日には東京へいってしまうでは、
話が進まない。
だから、
どこかのタイミングで、
今の仕事をやめて、
西脇にせめて一週間は居続けなくてはなぁと、
思う。
とりあえずには、
就活に必要なものを揃えつつ、
ハローワークに話を聞いてみるかなぁと。
東京のハローワークでも、
話は聞けるし。
とりあえず今のところの現状。

ご近所さん

月二日位しかいません、
と言う妙な枕詞をつけて、
同じハイツに住む方に、
挨拶を。
(もう一方は不在の為挨拶出来ず) 人がいるのだかいないのだか、
分からないのは、
何だか気味が悪かろうと思って、
挨拶は絶対しなきゃ、
と、
思ってたのだけど、
次あった時、
と言うか、
月一でいって、
ばったりうまく会えるかも分からない中で、
顔を覚えて貰えるのだろうか? と言うのは、
この変なやり方をしているデメリットではあるのかなぁと。
山梨で街おこしをしている知り合いが、
実際見切り発車の様に、
とりあえず自分の身をその土地に置かないと、
信用など得れないよ、
と、
何とも耳の痛いことを言っていたけど、
多分毎日の何気ない挨拶やら、
立ち話によって、
解消されるストレスと言うものはある様な。
清澄でギャラリーに参加していて、
ご近所さんに声をかけられるようになったり、
こう言うことを気を付けた方が良い、
なぞのアドバイス等、
言って貰えるのは、
大変ありがたかったし、
何にせよ、
間違い等あった時、
その間違いに気付かぬまま、
ストレスを与えたりしていたりするのが、
一番良くないと思うので、
何かあった時に直接言って貰えるように、
早めに顔を覚えて貰えるよう頑張ろうと。
そう言うこと考えると、
二日は短いし、
その二日でやたら知って貰おうと、
家を尋ねるのも失礼な気もして、
毎日毎日、
何気ないタイミングでバッタリあったり、
挨拶とか出来たら良いのになと、
まだまだ東京の割合が多い、
現状がもどかしい。

敬語

どう喋って良いのか、
知り合ってから日が浅い方やら、
知り合いの知り合いと、
何とか喋ろうとした時、
失礼の無いように変に意識してしまい、
やたらかしこばった言い方となり、
逆に打ち解けるのに時間がかかることがしばしば。
そう言うときって、
相手がざっくばらんに、
和やかな雰囲気を作ってくれてるのに、
それをぶち壊してしまうようで、
あぁ、
もっとざっくばらんに、
上手く返せたらなぁと言うのと、
関西の人はそこらへんが、
身体に染み付いてるんだろうなぁと。
前のめりに気を遣い、
場を盛り上げる関西と、
消極的に気を遣い、
ビジネス的な付き合いに留まる関東と。
勿論全部が全部そうではないのだけど、
雑多な印象として。
あとは関西の言葉は日常に馴染んでいて、
丁寧なのだけどよそよそしさと言う意味での敬語っぽい感じがしないような。
言葉に人間味を感じると言うか。
"ありがとうございます" と言う字ずらをみて、
その人の人がらは見えてこなそうなのに、
使ってしまうなぁ。
"おおきに"など、
絶対無理してエセ関西弁に聞こえそうで言えないけど、
と言うか、
無理をしてる感じが痛々しそうな。
うーん。

体調不良

元気なときは全然億劫にならない家事も、
体調を崩したときは、
途端に億劫に。
いや、
今回言ったときに、
崩していたわけではないのだけど、
帰ってきてから高速バスに座りすぎていたからか、
腰やら足やらがやたら痛い。
まぁ、
今回はそんなでもないけど、
夏風邪をひいたり、
栄養をつけなくてはと言うとき、
しっかりあれこれ作るのは、
面倒くさそう。
必要最低限のものをとり、
とっとと寝てしまいそう。
あとはレトルトとかでしょうか? 逆を言えば、
体調崩しても大丈夫な様に、
普段からなにか日持ちのするものを、
作りおきしておけばいんだよなぁと。
そう考えると、
冷蔵庫とかも必要だよなぁと。
普段の生活では、
冷凍庫を重宝してるけど。

持ち物

ここは西脇と東京を言ったりする中で、
あれは実家にあったのだかなかったのだか、
そう言うのをなくす為の極個人的なとこですが、
それだとあんまりなので、 それぞれの感想なり、
思ったことを書いていきます。
撮影した画像をタンブラーであげて、
サムネイル画面に飛びますので、
気になるものをクリックしていただけたらと。

写真集・小説・漫画など

購入した(頂いた)作品・食器・道具(カメラ)など

衣服・鞄

自分が持ってる衣服・鞄など

壁画

もともと壁画とか好きなのですが、
東京の街中で見たりしていた、
街の美化運動とかで描かれたものとか、
あまりに面白味がなくてガッカリすることもよくありました。
ただまぁぶつくさ一人で腐ってても仕方がないので、
とりあえず良いと思うものも、
ガッカリするものも、
ひたすら一度まとめてみないと、
一体何にガッカリしているのかもよく分からないだろうからと、
街中で見つけた壁画を撮影したものです。

壁画(関東)

新宿・六本木・恵比寿・赤坂・麻布十番・田町

壁画(関西)

梅田・本町・西脇・

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