2009/12/4-12/27 グループ展 「TAP」 TAP gallery

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展示を振り返ってのエッセイ

本当は蒼穹舎で展示しようと思っていたものを、 ギャラリーを始めることになってしまったで、 急遽こちらに使うこととなった。 自分の中ではこのときの作品が、 一番ストリートスナップらしいと思っていて、 そのバランスが良かったのかなと。 元々ギャラリーをやる気なんてさらさらなかった訳で、 やるのを誘われていなかったら、 やることはずっとなかったかと思う。 創立当初、目指す方向は明確にはなく、 とにかく人に羨ましがられるようなほど自由に、 好き勝手やろうといっていて、 実際好き勝手やれていたと思う。 あとは少ないながらも組織として動くわけで、 その難しさ等を色々考えさせられることとなった。

2010/1/08-1/17 2人展 「SS」

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展示を振り返ってのエッセイ

とりあえず知らない人への自己紹介の意味をこめて、最初にやった展示(齊藤)と全倍の作品(佐久間)を横に並べ、正面に小さな作品を自分は展示した。 6×7を4段、35サイズを5段に列ごとに交互に並べたのだけれど、改めて見てみると、構図等一枚一枚が見づらいのは否めないのかと。搬入中、ギャラリー前のおばあさんに寿司を貰ったのが良い思い出。

2010/4/13-4/25 鶴田厚博写真展 「colored」 TAP gallery

展示を振り返ってのエッセイ

鶴田厚博という作家の印象を考えたとき、スタジオミュージシャンの様な感じが。
もとより、音楽が好きでお互いによく話したりということもあるけれど、
派手さを求めず、淡々と良質な作品をだしつつも、その枠組みの中に、必ず遊びを入れる。
均衡を敢えて崩そうとする危うさと、されど破綻しない安定さとの、不思議なバランス感がある様な。
coloredにおいて鶴田氏は‘固まってはつまらないから’と、
それまでのフィルムでのモノクロ作品ではなく、
発表としては初となるデジタルカラーの作品となった。
かといって、やはり作品は鶴田厚博の写真で、
色づくことにより変わることはなく、むしろ現実に近づくことにより、
その個性たるものを強く感じることとなったのかもしれない。
正確には変わらないのではなく、表象ではなくもっと根源的なもの、
一見して分かる変化ではなく、彼のより深い変化にいつも目を奪われているから、
変わらないように思うのかもしれない。
企画者 齊藤明彦

2010/7/17-7/25 大西みつぐ企画 「深川フォトセッション」 清澄白河商店街

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展示を振り返ってのエッセイ

このときをきっかけにそら庵さんや深川番所さんとか、 清澄庭園側の人たちとも交流するようになった。 期間中は記録的な猛暑で、 清澄白河は日陰があまり出来ないので、 熱中症で体調を崩す人がいないかハラハラしたりもした展示。

2010/7/25-8/28 「GAW展」 兵庫県西脇市

展示を振り返ってのエッセイ

搬入から10日、搬出に3日ほど結果的に滞在したことをきっかけに、 自分がやりたいことがむしろ東京よりも西脇で出来るのではないかと思い、 移住を決断するきっかけとなった展示。 またアートフェア等のイベントに関して、 一人の人の基準でやるシンプルさによる良さというものがある気がして、 規模としてはビエンナーレ等には敵わないながらも、 参加できて本当によかったと思う。

2010/10/12-10/24 「EXHIBITONSAKUMAGEN」 TAP gallery

佐久間とは長い付き合いで、
お互いの展示を最初から見ています。
共通した被写体をよく撮っていながら、
実際作品となった時、
全く別の印象を受けていたものでした。
それと同時に、
自分ならこのやり方はしない、
どうしてこっちを選ぶのだろうと言ったことを、
考えるようになり、
いつしか失礼とは感じつつも、
全てのネガを借り受け、
全てをこちら側でやらせてもらえないだろうかと
頼んでみた所、
快諾して貰えたので、
今回やらして頂く運びとなりました。
セレクトの時点で、元々ワークプリント等で、
佐久間の方がチェックのついていたものからは、
1点だけの展示となります。
写真の作品を作る行程の中で、
どこによりその個性がでるのか、
自分自身考えながら製作しました。
皆さんも片隅にそのことを考えながら、
楽しんで頂ければ幸いです。
齊藤明彦

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展示を振り返ってのエッセイ

DMを作ったとき、佐久間に‘こんなの撮影した覚えがない’と言われたのが印象に残っている。
‘どんな展示になるか想像がつかない’と撮影した作者に言われたことを
勝手に自分に対する賛辞として受け取っていた。
結局佐久間に大量のネガを借り受け、
事務的なことをのぞいては一切打ち合わせのないままの展示となり、
お客さんに‘ここはどこですか?’と聞かれては、’僕は撮影してないので一切分かりません’と答えていた。
何回もやってはお互いの癖なり、スタンスが分かってしまうからもうやる気はないけれど、
なかなか面白かったのではないかと自分では思っていて、
あわよくば佐久間自身が購入しないかと期待していたが、
さすがにそこまでには至らなかった。
逆のこと、つまりは佐久間が僕のネガを使って同じ様なことをすれば、
僕には出来ない展示を佐久間はするだろうし、
そう言った意味で、撮影と同様に、セレクトや並べが作品に与える影響を改めて実感出来た展示だった。
企画者 齊藤明彦

2011/5/17-5/29 植村美香写真展 「Coming and Going」 TAP gallery

展示を振り返ってのエッセイ

 植村の写真において、視線が遠くにあると言う印象がある。
遠くに視線をおき、結果として、見えるはずの全景の一部が残る。
それは余分なものを削ぐと言うよりは、
視ると言う行為を表象させているかの様な印象を受け、
写真家が通常行う削ぐ作業を不在とさせる。
今回の展示においては、その視線の機軸となる地点は東京タワーであり、
何らかのシンボリズムを有する塔から見える外界が展開される。
それは、被写体側(東京タワー)から視線であり、
同時にそこに投げ返される東京タワーへの視線が画面上に写しだされる。
それらの往来(Coming and Going)する視線は、絡まる様ですれ違い、
その交差の中に息を潜め、その事象を植村は写し込んでいるかの様だ。
また、植村が自身の作品を語る時、度々、定点観測という言葉を用いる。
植村は観る作家だ。
何かに対する概念的抽象を現実に置きかえ具現化するのではなく、
外界に対し真摯に視線を投げ掛け、
そう言ったとき、有象無象の事象を迷わず見る為に、
自らの立ち位置を定め、それは時に塔となり、時に電車となり、
‘私はここからあなたを観る’と、被写体との対話を植村は始めるのである。
                             企画者 齊藤明彦

2011/9/6-9/18 3人展 「STREET PHTOGRAPHS」 TAP gallery

写真になって初めてみえてくるもの。
写真を目の前にした時、「何が写っているのか?」ということに着目することがあるだろう。
「被写体は何であるか?」 しかし、写真を観る上でこのことは重要なことなのであろうか?
もちろん、どういった目的の写真かということにもよるのだが、
少なくとも今回の、齊藤明彦、林隆文、山方伸の作品にとっては、
写っているものそれ自体が辞書の上で定義されている意味は重要でない。
つまり、「何が写っているのか?」ということではなく、
「何がみえるか?」ということに着目してもらうことが今回の展覧会の一つのテーマともいえる。
普段気にも留めていないものをじっくりと見つめられるということが写真の最大の魅力の一つである。
ひとたび写真になれば、
人の表情や動作、衣類の質感、背景、モノの配置や位置関係、状態、想像できる触感などを視覚を通して感じることが可能になる。
そこに現れるのは、本来ある意味とも違う、期待したものとも違う、認識していたものとも違う、予想外のもの。
写真には、いかに人間の眼に意外で、不可解で、興味深いものが存在し、配置されるのかということである。
写真には、現実を越えてみえてくるものが、確かに存在するのだ。
この展覧会はストリートフォトグラフィーの一つの観方の提案であり、
写真を細分化する分野の垣根を取り払い、
写真を観ることのおもしろさの根源へ立ち帰るために投じる一石になればと思う。
小寺規古

展示を振返ってのエッセイ(静物に関して)
シャッターを切る瞬間というのもまた作家のその個性をきめる要因の一つだと思う。
静物のシリーズは元々は故郷の東京がテーマだった。近づきもしない、離れもしない、
そこにいることをのみ肯定されるその距離感を提示することがテーマだった。
が、方法が先行するのは良くないことは承知の上で、
その方法が作品に色を与えることも否定は出来ず、
一緒に展示した山方氏、林氏との違いを見る中で、
自分の作品を改めて見つめ直したように思う。
葉の全てに陽の光を。
静物のシリーズをやめて以来、植物をよく撮影する。
葉の成り立ちに魅かれる。
それはおそらく静物において、
待ち行く人を全て等価に、顔(実際の顔ではなくその印象の核となるもの)を隠さぬ様、
折り重ねつつ配置につとめた、
その自分の趣向故、流れとしては自然であったのかのように思う。
                             企画者 齊藤明彦

2012/1/10-1/22 「かるた」 TAP gallery

一の壁
最初の壁は、お互い言葉フェチというかなんと言うか(齊藤は本をほとんど読めないのでマニアではないと思う)、
十年来の親友である葛西圭と、齊藤の文章。
それに加え、今回他の壁にて関わっている作家のワークプリントが入ったおみくじを120点用意し、壁に並べます。
※300円 お一人様1点限り
おみくじとは一種の運試しだと思います。
中身など本当はどうでも良くて、何がでてくるか分からない、その緊張感にお金を払うのだと思います。
年の初めにくだらない文章を読むか、はたまた何か役に立つ内容となるかは人それぞれに捉え方はあるでしょうし、
本当にギャンブルみたいなものですが、ワークプリントもどの作家のものが入っているか?
変に損得ではなく楽しんでもらえればと考えています。
二の壁
二番目、ギャラリー正面の壁は、3年の生活の中で齊藤の携帯に残っていた写真です。
大半は齊藤によって撮影されたものですが、数点ですが人から送られてきた写メールも含まれています。
‘写真は撮ろうとして撮るものではない。撮れてしまったものにこそ価値がある’(意訳)とは、
某有名写真家の言葉ですが、カメラは作者の意思とは関係なく記録をしてしまうものです。
作品にする意図はなく撮影したものが、時として作品として成立する。
そのようなことが写真の妙としてあるかと思われます。
肩の力が抜け、何にもとらわれず携帯で撮影したものが作者の範疇を越える。
今回のものがそれに該当するかどうか?それは会場にてご判断下さい。
出す側としては成立していると言い切っておきましょう。
また、携帯の写真に関しましては、齊藤以外の写真も含まれている為、販売はせず、
ご希望の方は写メールにて送付致します。許可の取れていないものもありますので、
全てではありませんが、会場にて記載されているメールアドレスまでご希望の写真を書き、ご一報下さい。
三の壁
三番目の壁は、二日毎に展示を入れ替えます。
ラインナップは以下の通り。
1/10,11 colored  鶴田厚博 1/10,11
1/12,13 drypoint 齊藤明彦 1/12,13 
1/14,15 Coming And Going 植村美香
1/17,18 坂巻剛好 
1/19,20 EXBITIONSAKUMAGEN (齊藤企画/編集/プリント/セレクト)
1/21,22 静物 (STREETPHOTOGRAPHS よりカラー作品)
一つは齊藤がこれまでに企画した作家の作品を並べます。
二週間等短い展示期間の中で見逃してしまったら、それ以降観る機会がないということは残念なことで、
そう言った作品にふれることもそうですし、販売および購入の機会ももっと多くあるべきではないかという、
言えば齊藤の我が儘です。
ギャラリー裏でプリントを手にとり鑑賞するのもいいですが、やはり壁に並んでいる所を観てもらいたい。
その思いから、下記の日程で壁に並びます。
もう一つは、街道で知り合った坂巻氏に好きに使ってもらうというものです。(1/17、18)
街道ではZINEやマッチに新聞に缶バッチ、柔軟に販売物を作る傾向があると思います。
ZINEの出現により、より身近に出版物を出せるようになりましたが、
一方で、その販売機会が限られ、写真集に比べるとまだまだ内々に留まっているように思います。
ウチのギャラリーでやったから広がりを持つと言った自惚れはありませんが、
何がきっかけになるかは分からないので、機会が少しでも増やせるなら増やそうではないか、
ということで、販売物に関しましても自由にやって頂きます。
最後に、齊藤が11月の展示予定のdrypointの制作途中のものを展示します。(1/12、13)
現在自宅にて壁に常時並べ検討中のプリントを敢えて壁にかけます。
画家がその絵筆をどこで止めるかと同じように、写真家がどこで撮影をやめ、
展示をするということが一つ大きな意味合いを持っています。
作品として成立するのだけれど、もう一日撮影すればもっと良くなるかもしれない。
そのジレンマというものは常に写真家にはあります。
かといって、納得するのまで撮影を繰り返すばかりでは、いつまでたっても作品は世に出て行かないのです。
今回のものが作品として成立しているかどうか、明言は避けますが、本来でるはずのない過程を観て頂くことにより、
11月の展示にて、それがどう変化していくのか?いつもの観客側だけでなく、またあらたな視点で見て頂ければ幸いです。
手前味噌で、認めと貰えるか否かは分かりませんが、
TAP Galleryの展示において、一番無茶苦茶をやっているという自負があります。
好き勝手やっています。ただ、好き勝手やっていますが、見に来るだけの価値があると、そこだけは胸を張って言います。
そこを曖昧にしてしまうのは観客に対し失礼だとの考えからです。面白いです。満足させます。
趣味として写真をやっているのではなく、写真家を名乗っているので。
プロですから。
齊藤明彦

展示を振り返ってのエッセイ

かるた
きっちり無理をしようと思っていたのに、
何の問題もなく無事終わってしまったのがなんだか残念な様な。
結局出来ることをしてしまったかの様な、
自分の範疇を越える創造性がなかったかのように思え、
どこか後ろめたさが残る。
面白いものだったとは思うけれど、
どこか余力があったのではと。
今回は敢えて言葉でグダグダ説明していたのだけれど、
文章が的確か、説得力があるかは別にして、
どこか言葉で丸め込めてしまう所が自分にはある様な気がして、
そこが嫌でもあり、
ただ、言葉を否定してそれで終わりというのも良くないなと思った流れで、
画(え)と文章、をテーマに‘かるた’となった。
ただ、悲観することばかりではなく、
良かったと思う点も多々ある訳で、
というよりかは、
評価というものはあくまで水物というスタンスと、
陰口みたいな文句を言うのは良くないと普段から思っていたので、
無理に広く伝える必要はないけれど、
とりあえず思っていることはきっちり言っていこうと、
その先生の為にあったのではないかなぁと、
ぼんやり今回の展示を振返る。
自分の中で大きかったと思うのは、
少額ながら参加して頂いた作家に売り上げよりお金を支払えたこと、
地元の人が同じ展示と分かった上で複数回来てくれたこと、
無料ながら携帯の写真を送ってもらうよう、地元の人が言ってくれたこと。
写真をやっていて、売っていることを例え知っていても、
プリントを買うという人はなかなかいない。
そんな中で写真をやってもいない人に、
ほしがってもらえたのが嬉しかった。
率直な感想として、
自分たちの携わっている、
作家として活動している、
作品を売って収入を得るということは、
日本において産業としてあまりに未成熟な分野に思える。
特に自主ギャラリーにおいて。
それは売る側のマネジメント的な意識もそうだし、
一般に対しての浸透具合を見てもそうだし、
どうしても内々でまわしている観は否めないし、
広がりを持たない感じがする。
あるとしても、
広がりは上へのものばかりであって、
それを支えるはずの下への広がりがないと思うし、
そう愚痴っていっても仕方がないので、
下が広がるよう、
その方向性を示していけたらと。
願わくば今こう思うことが、
自分の無知が故の、
どうしようもない杞憂であったら。
自分の考えることが幼稚で、
その先を考える人が沢山いると願いを込めて。
とりあえず、
今度西脇へ行きます。
最終的には西脇に移住したい。
齊藤明彦 2012/1/31

2012/8/7-8/19 「夏休みの自由研究」 TAP gallery

1 藤瀬素之の冬の東京の写真、
2 S35.68/E139.79の感想文コンテストの結果、
3 齊藤の写真の飾り方、公共で見れる作品(写真に限らず)の考察のレポート。

画像をクリックすると内容が閲覧できます。
(漫画と大人用)

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展示を振り返ってのエッセイ

準備をしているときは意識していなかったのだけれど、 大学の友人の藤瀬氏の写真と、 自分の深川の写真が丁度10年と言う時間の開きがあった。 同じ東京を撮っている内容にもかかわらず、 藤瀬氏のものが情緒豊かなのに対し、 自分のはどこかさめた感じが強く、 叙情と言うものには自分は縁がないのだなと思った。 大きくなってから小学生のころの課題が、 急に楽しそうにみえるようになって、 義務ではなく能動的にレポートや漫画とかを描いた。 こう楽しみながら小さいころは勉強をしていなかったなと、 なんとも勿体無く過ごしていたなと振り返りながらの展示だった。

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2012/10/2-10/14 藤木雄汰写真展 「なっとくしゅーる」 TAP gallery

人は盲目的で、無垢なままに
「シュール」という言葉を発っしてきた。
それは世界と、
ある予定調和的な距離をとることで
世界を個人的に所有し
自己の認識下に置きたいという欲求から生じた結果である。
我々の「シュール」という認識が世界を分節化する過程において
その影響力は決して自意識や理性といった
囲いの外側へ及ぶものではない。
なぜなら人は
生れ落ちてより物理学を身に付けてゆくからであり
その体験的、
またはそこから生ずる想像的な認知から発する引力には
逆らうことが出来ず
ゆえに開放された現実、
つまり超現実を見ることは出来ないのだ。
ここでいう超現実とは、
現実離れをした現実を意味するのではなく
日常の裡から不意にむき出しとなり、
立ち現れてくる強度の強い現実のことを指すが
それを「見る」にはどうやら、
言葉による世界の分節化を放棄するしかないように思う。
つまり、
我々は理解を超えた事物を目撃したとき、
それを認識しようと「シュール」という言葉を発してきたが
我々はその言葉を発することをやめ、
眼前に突きつけられた映像を
ただ無条件に享受することによって
そこから立ち上がってくる
強度の強い現実を「見」なければならない。
藤木雄汰

今回の展示は、写真を選ぶ基準を、
しゅーるか否かと言うことにおきました。
自分たちが‘しゅーる’と言う言葉を使う時、
言葉での説明は野暮、と言うニュアンスがある様な気がして、
言えば言葉での説明を不要とし、
その良さを称えることなのかと。
作家の藤木氏と展示の準備をするにあたり、
これは該当しないのでは?という時には言葉は出てきますが、
該当するといった時、これはしゅーるだね、で、終わり、
言葉は出てきません。
藤木氏の書いた文章は、
しゅーるの説明をそんな中敢えてやっている訳で、
どこか無理矢理感があります。
言えば野暮なことをしている、
言葉での説明のアンチテーゼとしてあります。
これは藤木氏にも了解済です。
なを、
超現実主義であるシュールレアリズムとは、
全然関係ありません。
世界に向けている意味での、
ヒロシマ、ナガサキ、フクシマのカタカナ表記の逆で、
自分たちがごくごく日常の中で使用すると言う意味での、
ひらがな表記での‘しゅーる’です。
誤解がない様、念の為。
写真を見慣れない人でも、
しゅーるかどうか考えながらご覧なって頂けると、
見やすいかと思います。
お試し下さい。
企画者 齊藤明彦

2013/5/14-5/26 「Smoke Gets in Your Eyes」 TAP gallery

知り合いの古本屋が所有していた
撮影者不明のJAZZの写真を飾らしてもらう。
賞賛は作者には届かず。
それがなんとも歯がゆい。
被写体となっていたのは レイチャールズ、
ルイアームストロング、
サミーデイビスJr、ハービーマン他

展示を振り返ってのエッセイ

斜に構えることなくストレートに撮影したものが、 素直に良いと思えた展示。 また、作者不在、被写体への知識のない条件下での作品の成立と言う点から考えても (自分はレイチャールズしか知らなかった。)、 作者の意図とは必ずしも必要ないということの実感にもなった。 ただ賞賛は作者に届けたくもあり、 そこら辺がなんとも歯がゆい展示となった。

2013/5/18-5/19、5/24-5/26 「There are ZINES 」 sngk gallery

2BLKS主催のZINE展

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展示を振り返ってのエッセイ

自分では上手く出来たといき込んで出してみると、
見事にその自信をくじかれるほど、
それぞれに創意工夫が秀逸で、
悔しい思いをするSNGKのグループ展。
でもまぁ、そういう機会も貴重かと。
何回挑戦しても目立たない分、
のびのび冒険が出来る。

2013/10/1-10/21 「GAW展Ⅷ」 新宿ゴールデン街

ゴールデン街の久絽さんが主催するGAW展の8回目。
自分は”くればわかる”2Fにて展示。

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展示を振り返ってのエッセイ

西脇に行ったまでを全て出したfrom~において、
キャビネでしか焼いてない中で伸ばしたいと思ったものと、
夏、西脇に行ったものとを合わせての展示。
意図としては、東京で撮影するべきだと言う意見が多い中で、
そこを廃したもので成立する、
と言うこれからの暗喩を込めたのだけれど、
親が癌になったり、
スタッフとして働いたり、
次の展示があったりと、
反応が良く分からない位ドタバタしてた。
展示が終わり次の展示も終わって落ち着いて考えると、
ドタバタ余裕がない分、
自分が良いと思う素直なところを出せたのかなと。
あとは、
自分の場合、
カラーとモノクロとは、
当たり前に混ざるのだなと。
モノクロよりのカラーだと言うのは、
よくよく思った。

2013/11/29-12/1 12/6-12/8 「what character are you?」 sngk gallery

2BLKS主催のキャラクターをテーマにして展示

展示を振り返ってのエッセイ

時間がなかったので、
キャラクターというよりは、
某ギャラリーの搬入に来てる人を、
キャラっぽく似顔絵にしたものを自分は出した。
写真の知り合いはそんなに来なかったので、
結局似てるか似てないかもよく分からず。

2/4-2/9 ギャラリー晴れ 2/7-12 床屋ギャラリー 上村國夫写真展 
カラー編 セレクト・編集  
モノクロ編 プリントにて参加

上村國夫卒寿を記念して、
カラー作品・モノクロ作品を2会場にて展示します。
若い世代には話でしか知らない、
往時を知る者には懐かしき、
それぞれの思いを馳せるような
時代の表情が浮かび上がる作品が並びます。
※DMより抜粋

展示を振り返ってのエッセイ

上村さんと同じように写真展を回っている林さんに声をかけられ、
上村さんの卒寿を記念した展示を手伝うこととなった。
関わるからには、
ただの愛好家の写真を並べた展示、
と言う感じでは終わらない様にしないと、
と言う傲りはどこかにあったと思う。
実際準備をするなかで、林さん、大島さん、
自分とそれぞれ選ぶ写真が異なり、
そういった、
個々人の趣味趣向の擦り合わせに対する労力が面倒で、
グループ展を避けているところも多かったので、
当初は半端な感じになるんじゃないかと正直不安だった。
最終的にはカラー編を自分が選び、
モノクロ編を林さんが選ぶこととなり、
結果的に一番よかったのではなかったかと。
上村さんの写真には、
言えば自分がやりたいこと、
林さんがやりたいこと、
それぞれが出来るだけの懐の深さがあったのかと。
また、今回関わった林さんや大島さんは、
公募形式のグループ展を企画したり、参加している人で、
そこら辺の人とは距離があったのだけれど、
実際自分にはない労力や創意工夫があるのだなぁと、
思うきっかけにも。
カラー編とモノクロ編の選びを振り分けたのは、大島さんだし、
実際僕は自分の展示をする様な形でやればよかったので、
自分は良い意味で、転がされているだけだった様な。
まぁ、モノクロプリントを焼く羽目になるとは、 思わなかったけれど。
林さんのモノクロ編のセレクトにしても、
自分は今一ピンとこない部分もあったけれど、
実際展示されたものを見ると、
逆に自分では選べないと言う意味も含め、
モノクロ編、カラー編と良い対比になったのではないかなと。
自分が二つともセレクトしていたら、
自分の色が変に強くなってしまって良くなかっただろうし。
今回、実際展示までを回していたのは大島さんだったと思う。
林さんの情熱を大島さんが上手い方向に流して、
それで僕はやることだけやってと。
来た人の反応もさることながら、
上村さんに喜んでもらえたのが何よりで。
また、自分主導ではなく、
満足いく結果となった人との共同での展示は貴重で、
自分自身も楽しめてやれた。
大変な部分もあったけど、
関われてよかったと素直に思った展示。

「seoul photo2014」

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展示を振り返ってのエッセイ

会場には結局初日のはじめの方しかいられなかったので、
お客さんの反応とかはよく分からないのだけど、
一観客としてみたときに、
グループ展として面白いなと、今回の蒼穹舎のブースは。
良いものが見れたと、
言うのが単純な感想で、
こういうグループ展に関われたのは、
良かったと思ったし、
こういうグループ展が東京でも見れたらなぁと。
実際自分の作品の位置づけは、
流れの中でのアクセントとしてあったのかなぁと。
内容自体は今までにない部分を多分に含めていて、
自分のなかで新鮮味があったのだけれど。
後は久し振りの木パネにて捨て張りと言うもので、
周辺が浮いてしまったのは勿体無かったと。

2015/2/4-「久絽店番展2(鶴田厚博編)」

鶴田厚博 DOG RUN
作者webサイトで公開していたものを、
自分が久絽さんの店番のを機会に企画(及びプリント)
鶴田厚博 website 

展示を振り返ってのエッセイ

展示の成立条件てなんだろうなぁ、
と言うのはここ一年位考えていて。
ギャラリーでやるのなら言うまでもなく、
で、
webだとどうだろう? 居酒屋で飾るのは? 自宅は展示として認知されないみたいだなぁとかある中で、
DMで認知されるとこはあるのかなぁ、
なぞ思う自分の中の考えを、
実地と共に、
他の人(要は鶴田さん)に面と向かって聞いてみようと言うのが、
自分としての意図としてあって。
あとは単純に店番をしてるのだから、
自分の以外の写真も飾ってたいなぁと言うのがあった。
自分の写真は自宅でさんざん見ていたから。

実際並べて見て、
鶴田さんの反応が一番顕著に出て、
(要は面白がってくれて)、
あとは他の人からもDMを見て、
やってるんでしょ?と言われたのは、
ちゃんとした成果と捉えて良いのかなぁと、
自分では思っていて、
それから先は、
実際久絽さんとこ、
または鶴田さんのwebサイトに繋がってくれたら良いのだけど、
そこら辺は確かめようがなく、
煮えきらない所。
認知と言う意味ではDMはやはり大きいなぁと言う所と、
あとは実際の写真を見て、
それに対する反応が作者に返ってくるのが理想だけど、
まぁ、
焦らずまた機会があればやれたらと。
内容自体は特にDMにした写真が、
今までの鶴田さんになく面白かったなぁと。
それと欲を言えばまだダイレクトプリントがある時にやってみたかった。
自分がデジタルラボ出力でプリントしたのだけれど、
どこかデジタルっぽさは被ってたのかなぁと。

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